クロップ監督候補だったがグアルディオラに決まって断った - 楽しい楽しいバイエルン・ミュンヘン

公開日:2015/04/28
クロップ監督候補だったがグアルディオラに決まって断った

クロップ監督候補だったがグアルディオラに決まって断った
ポカール準決勝で闘うクロップにちょっと嫌な空気を流す
まあ普通の話しというかあっただろう、と
そして将来はクロップが来てくれればいい
そのときグアルディオラがいじりまくったバイエルンはどんなことになっているのか?

元Bミュンヘン代表取締役員のマルクボルト氏はテレビで「(クロップ監督は)真剣に候補に挙がっていた。だが、(元会長の)ウリ・ヘーネスから電話がきて、『我々はグアルディオラと決断した。クロップに電話をして断りを入れる』と伝えてきた」と明かした。退任会見でクロップ監督は去就について「休養するつもりはない」と来季も監督業に意欲を見せており、現地では国外で指揮を執る可能性が高いと報じられている。マルクボルト氏は同監督の将来について「いつかはまたドイツに戻ってくるだろう。もちろん、その時はBミュンヘンへ」とコメントした。(日刊スポーツ)

クロップ監督は、ジョゼップ・グアルディオラ監督とともに候補に挙がったものの、最終的にバイエルンはグアルディオラ監督を選んだという。バイエルンの経営顧問を務めるヘルムト・マルクヴォルト氏が、ドイツのラジオ局のインタビューで明かしたもので、「彼(=クロップ監督)のことは本気で考えていた。ウリ・ヘーネス(当時の会長)から電話があり、『グアルディオラに決めた。これからクロップに電話して、断りを入れる』と伝えられた」と明かしている。当時のクロップ監督といえば、就任4年目の2011-12シーズンにリーグ連覇とクラブ初となるDFBポカールとの国内2冠を達成し、押しも押されもせぬ名将に上り詰めていた頃。常に1番いいものに手を伸ばすバイエルンなら、クロップ監督に白羽の矢を立てたとしても不思議ではない。加えて、ユルゲン・クリンスマン氏が就任した2008年にも、クロップ監督の名前が取り沙汰されたのは周知の事実。のちにヘーネス氏が当時のことについて、「バイエルンにはクリンスマンではなく、クロップを監督に迎えたかった」と明かした話は有名なこと。その頃のクロップ監督は、エレベーターチーム(昇降格を繰り返すチーム)から脱しきれないマインツの指揮官ながらも手腕は高く評価されており、ドイツのTVでのユーモアあふれる名解説で「TVドイツ代表監督」として、スター監督の道を歩み始めていた。それでも、「天下のバイエルンに2部監督」というアンバランスさは、話題性十分のニュースだった。ここまでのところ、クロップ監督とは縁があまりないように見えるバイエルンだが、フランツ・ベッケンバウアー名誉会長も大手メディア『スカイ』で、「グアルディオラ監督の後任として、当然クロップの名前は上がるだろう。私がまだ会長だった頃にも、彼のことはよく話題になっていた。グアルディオラには長くミュンヘンにいて欲しいと思っているが、クロップが常に我々のテーマであることは変わらない」と話すなど、目を離すことはなさそうだ。一方のクロップ監督だが、代理人はドイツ紙『ビルト』に対し、「事実ではない」と否定。「我々のところに断りが入ったことはない。この件に関しての話し合いなどなかった以上、断る必要もない」と反論している。(SOCCER KING)