ゲルト・ミュラー氏死去 - 楽しい楽しいバイエルン・ミュンヘン

公開日:2021/08/16
ゲルト・ミュラー氏死去

「爆撃機」ゲルト・ミュラー氏死去
15日の早朝に死去した。
これにより公式サイトはすべてのページがモノクロに


“爆撃機”ゲルト・ミュラーさん死去 ブンデスリーガ最多得点記録保持者
8/15(日) 22:00配信
(スポーツ報知)

驚異的な得点力から「爆撃機」の異名を取ったサッカーの元西ドイツ代表FWゲルト・ミュラーさんが、15日、死去したことが分かった。同日、バイエルン・ミュンヘンの公式サイトが伝えた。75歳だった。
1970年メキシコ大会で10得点を挙げ、得点王を獲得し、西ドイツの3位に貢献。その活躍で「爆撃機」の異名を取った。同年、欧州最優秀選手を獲得。74年西ドイツ大会では4得点を挙げ、主将のフランツ・ベッケンバウアーらと母国を2度目の優勝に導いた。西ドイツ代表では62試合68得点。クラブでは64年から79年までバイエルンで427試合365得点。この記録はブンデスリーガで現在も破られていない。

元ドイツ代表GKカーン、ゲルト・ミュラーさんの死去に「最も偉大なレジェンドの1人」
8/15(日) 22:19配信
(スポーツ報知)

驚異的な得点力から「爆撃機」の異名を取ったサッカーの元西ドイツ代表FWゲルト・ミュラーさんが、15日、死去したことが分かった。同日、かつて所属していたバイエルン・ミュンヘンの公式サイトが伝えた。75歳だった。
元ドイツ代表GKで、バイエルン・ミュンヘンのオリバー・カーンCEOは、「ゲルト・ミュラー氏の訃報に、我々全員が深く悲しんでいます。彼はバイエルンの歴史の中で最も偉大なレジェンドの1人であり、彼の功績は今日においても、たぐいなきものであり、FCバイエルンとドイツサッカーの偉大な歴史の一部として、永遠に語り継がれることでしょう。ゲルトは永遠に私たちの心の中にあります」とコメントした。
◆ゲルト・ミュラー 1945年11月3日、ドイツ・ネルトリンゲン生まれ。70年メキシコ大会で10得点を挙げ、得点王を獲得し、西ドイツの3位に貢献。その活躍で「爆撃機」の異名を取った。同年、欧州最優秀選手を獲得。74年西ドイツ大会では4得点を挙げ、優勝の原動力となった。西ドイツ代表では62試合68得点。クラブでは64年から79年までバイエルンで427試合365得点。この記録はブンデスリーガで破られていない。

ドイツサッカー界のレジェンド、ゲルト・ミュラー氏が75歳で死去…古巣バイエルンが発表
8/15(日) 21:01配信
(GOAL)

バイエルン・ミュンヘンは15日、同クラブのレジェンドであるゲルト・ミュラー氏が亡くなったことを発表した。75歳だった。
現役時代、バイエルンで公式戦607試合に出場して566ゴール、ブンデスリーガ記録となる365ゴール(427試合)を記録していたG・ミュラー氏。4度のリーグ優勝や3度のチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)優勝など数々のタイトルを獲得した他、西ドイツ代表としても数々の偉業を達成。62試合で68ゴールと驚異的な得点力を誇り、ワールドカップやEURO制覇に導いた。ドイツでは“爆撃機”の愛称で親しまれたレジェンドである。
そんなG・ミュラー氏だが、バイエルンの発表によると15日早朝に息を引き取ったとのこと。オリバー・カーンCEOは「彼の訃報は我々全員に深い衝撃と悲しみを与えている。彼はバイエルン史上最も偉大なレジェンドの1人であり、彼の功績は他の追随を許さない。バイエルンとドイツサッカー全体の偉大な歴史の一部として、永遠に語り継がれるだろう。ゲルトは永遠に心のなかに」との声明を発表している。

“爆撃機”ゲルト・ミュラー氏が75歳で死去。ドイツとバイエルンの伝説的ストライカー
8/15(日) 21:24配信
フットボールチャンネル

バイエルン・ミュンヘンや西ドイツ代表などで活躍した伝説的ストライカーのゲルト・ミュラー氏が、15日に75歳で死去した。バイエルンが発表を行っている。
1945年生まれのミュラー氏は選手としてのキャリアの大半をバイエルンで過ごし、あらゆる得点記録を更新。その破壊的な得点力により“爆撃機”の異名を取ったことで知られる。
バイエルンでは13年間の在籍でブンデスリーガ427試合に出場して365得点、公式戦合計605試合に出場して563得点を記録。得点数はいずれもリーグ最多記録およびクラブ最多記録となっている。
ブンデスリーガでは7回の得点王に輝いており、これも単独最多。1971/72シーズンには34試合の出場で40得点を挙げ、昨季ロベルト・レバンドフスキに破られるまで49年間にわたって年間最多得点記録だった。
西ドイツ代表としては62試合の出場で68得点を挙げ、ミロスラフ・クローゼ氏(71点)に次ぐ歴代2位の得点数。1970年ワールドカップでは得点王に輝くとともにその年のバロンドールを受賞し、続く1974年大会では決勝のオランダ戦で決勝点を挙げるなどの活躍で西ドイツを優勝に導いた。
「ゲルト・ミュラー氏の死去の知らせに我々全員が深い悲しみに沈んでいる。バイエルンの歴史上最も偉大なレジェンドの一人だった。彼の偉業は現在でも唯一無二のものであり、バイエルンとドイツサッカーの歴史の一部として永遠に残り続ける」とバイエルンのオリバー・カーンCEOはコメントし、伝説的選手との別れを惜しんでいる。

「爆撃機」ゲルト・ミュラー氏死去、75歳 独史上最高のストライカー
8/15(日) 21:34配信
日刊スポーツ : nikkansports.com

ドイツ史上最高のストライカーとして「爆撃機(ボンバー)」と呼ばれた元西ドイツ代表FWゲルト・ミュラー氏が15日、死去した。75歳。かつて所属したBミュンヘンが発表した。
同氏はBミュンヘンでの公式戦607試合で566ゴールをマーク。ブンデスリーガでは7度得点王に輝き、リーグ通算365点はいまだに史上最多得点記録として破られていない。西ドイツ代表としても68試合で62ゴールを挙げた。
Bミュンヘンのオリバー・カーンCEOは「ゲルト・ミュラー氏が亡くなり、我々全員が悲しみに暮れています。彼はバイエルンの歴史の中で最高のレジェンドの1人で、その功績は今日においても比類なきものです。永遠にBミュンヘンとドイツサッカー界の歴史の一部として残るでしょう。ゲルトはいつまでも我々の心の中にいます」などとコメントした。

ドイツの“爆撃機”ゲルト・ミュラー氏が75歳で死去…ブンデス最多365ゴール
8/15(日) 21:31配信
サッカーキング | 世界のサッカーを極めよう!から

元西ドイツ代表FWゲルト・ミュラー氏が、現地時間15日早朝に75歳で亡くなった。同日、同氏の古巣バイエルンが公式サイトで発表した。
ミュラー氏は1964年から1979年にかけてバイエルンのストライカーとして活躍し、その非凡な得点センスから“爆撃機”の愛称で親しまれた。バイエルンではクラブ歴代3位となる通算607試合に出場し、クラブ歴代最多の566ゴールを記録。4度のブンデスリーガ優勝や4度のDFBポカール優勝、1974年~76年のチャンピオンズカップ3連覇(現チャンピオンズリーグ)などに大きく貢献した。
ブンデスリーガ通算365得点は、現在も同リーグ史上最多の数字。1971-72シーズンのブンデスリーガで記録した40ゴールは、2020-21シーズンに41ゴールを挙げたバイエルンのポーランド代表FWロベルト・レヴァンドフスキに更新されるまで、同リーグの1シーズンにおける最多得点記録だった。
また、西ドイツ代表としては62試合の出場で68ゴールを記録。EURO1972や1974 FIFAワールドカップの優勝に貢献した。
引退後はバイエルンで育成にも携わっていたミュラー氏。近年はアルツハイマー型認知症を患い、リハビリ生活を送っていたことが知られていた。
バイエルンのオリヴァー・カーンCEO(最高経営責任者)は訃報に際し、クラブ公式サイトを通じて次のようにコメントした。
「ゲルト・ミュラー氏の訃報は、私たち全員を深く悲しませます。彼はバイエルンの歴史の中で最も偉大なレジェンドの一人であり、その功績は今日に至るまで他の追随を許さず、バイエルンとドイツサッカー全体の偉大な歴史の一部として永遠に語り継がれることでしょう。選手として、そして一人の人間として、ゲルト・ミュラー氏はバイエルンが世界的な名門クラブへと発展する過程において、唯一無二の働きを行いました。ゲルトは永遠に私たちの心の中に残り続けます」

ゲルト・ミュラー氏、75歳で死去 海外メディア報道、元西ドイツ代表の“爆撃機”
8/15(日) 21:16配信
SoccerMagazine ZONE WEB/サッカーマガジンゾーンウェブ

バイエルン・ミュンヘンと西ドイツ代表(当時)のエースストライカーとしてゴールを量産し、“爆撃機”と呼ばれたFWゲルト・ミュラー氏が現地時間15日、75歳で死去した。衛星放送「スカイ・スポーツ」イタリア版など、複数の海外メディアが伝えている。
ミュラー氏は、現役時代にブンデスリーガ427試合に出場して歴代最多得点記録となる365ゴールをマーク。また、代表戦でもミロスラフ・クローゼに次ぐ歴代2位の68ゴールをマークし、ヨハン・クライフ擁するオランダと対戦した74年の西ドイツ・ワールドカップ(W杯)決勝では前半43分に逆転ゴールを決めて、母国を2度目の世界一に導いた。
現役時代は、驚異的にゴールを量産したことからデア・ボンバー(爆撃機)とも呼ばれ、1970年代の西ドイツを牽引。1982年の現役引退後は指導者へと転身し、バイエルンサテライトチームのアシスタントコーチなどを務めた。
近年は病気療養中とされ、2015年に患った認知症の悪化により、昨年11月には危篤状態にあったと、ドイツ紙「ビルト」が報じていた。

“爆撃機”と親しまれた元西ドイツ代表のレジェンド、ゲルト・ミュラー氏が75歳で逝去
8/15(日) 21:10配信
超WORLDサッカー!から

かつて西ドイツ代表やバイエルンの伝説的なストライカーとして数多くのゴールを決めてきたゲルト・ミュラー氏が、15日の早朝に他界した。75歳だった。
ミュラー氏は、1963年にTSVネルトリンゲンでプロデビューし、翌1964年にバイエルンへと加入する。
バイエルンでは、15年間の在籍の中で、リーグでは7度の得点王に輝くなど、公式戦607試合に出場し566ゴールを記録。ブンデスリーガでは通算365ゴールを奪い、歴代最多ゴール記録を保持している。
また、2020-21シーズンにバイエルンのポーランド代表FWロベルト・レヴァンドフスキに抜かれたが、1971-1972シーズンにはブンデスリーガで40ゴールを記録し、50年近くもその記録を誇っていた。
“デル・ボンバー(爆撃機)”というニックネームで愛されたストライカーは西ドイツ代表としても62試合で68ゴールを記録。ワールドカップで1974年に1度、ユーロでは1972年に1度優勝を経験していた。
また、バイエルンではブンデスリーガで4回、チャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグ)で3回、DFBポカールで4回の優勝を経験。1970年にはバロンドールも受賞していた。
バイエルンはクラブ公式サイトを通じて、偉大なレジェンドであるミュラー氏の他界を報告。オリヴァー・カーンCEO(最高経営責任者)もコメントしている。
「ゲルト・ミュラーの死のニュースは、我々全員に大きな影響を与えます。彼はバイエルンの歴史の中で最も偉大なレジェンドの1人であり、彼の功績は比類ないものであり、バイエルンとすべてのドイツサッカーの偉大な歴史の一部となるでしょう」
「選手として、そして人として、ゲルト・ミュラーはバイエルンを世界最大のクラブの1つへと発展させてくれました。ゲルトは我々の中で永遠に宿ります」